ハバロフスク日本人会会報        りっか 六花 рикка           2008秋・Vol.28

 

☆秋日和の墓参会☆

1025日(土)、当会主催の恒例の秋の墓参会が催されました。雨模様という天気予報がみごとに外れて、やや寒いものの、とても穏やかな日和に恵まれました。今年は、墓地が比較的きれいとのことで清掃作業は行わず、慰霊会の形で催されました。まず、お線香をお供えした中央の慰霊碑に、当会名誉会長の貝谷総領事に白菊をお供えいただき、そのあと、ご参加くださったみなさまお一人お一人に白いカーネーションを一輪ずつお供えいただきました。それから、黙祷、山岸さんの三脚をお借りしてのタイマー記念撮影、総領事のご挨拶と献杯、そして、当地に新しく来られた方々のご挨拶を交えながらの歓談と、さらさらと澄んだ時間が流れてゆきました。なお、墓地に入って向かって左奥から中央奥にかけて地表が焼け焦げておりましたが、これは、1016日に発生した山火事の痕跡です。その日、たまたま「むさしの・多摩・ハバロフスク協会」の方々とお参りに来られていた小林亮介さんより、墓地が火事です、とのお電話をいただきまして、すみやかに墓地の管理事務所に連絡し、消防隊に現場に急行していただき、幸い、慰霊碑や卒塔婆への延焼を免れることができました。小林さん、すみやかなご対応をまことにありがとうございました。このたびは、お忙しいなか墓参会にご参加くださいましたみなさま、周到な準備にご尽力くださいました幹事のみなさま、コンロご持参で身も心も温まるホットワインにお茶そして美味しい卵焼きをご馳走してくださいました総領事公邸料理人の柏さん、まことにありがとうございました。ご参加できませんでしたみなさま、次回はぜひご一緒いたしましょう。 20081029日・編集子記)

 

☆サイト情報☆

◎今回は外れましたが、当地の天気予報のサイトです。http://www.gismeteo.ru/towns/31735.htm

◎アイスホッケーチーム『アムール』のファンクラブのサイトです。http://www.amurteam.ru/

◎本紙『六花』のバックナムバーが読めるサイトです。http://hisgan.fc2web.com

 

☆新聞拾い読み☆

日本の勲章、ニーナ・フォミナーさんに

1028日、貝谷俊男在ハバーロフスク日本国総領事が、総領事公邸で、ハバーロフスク地域社会組織『対外友好協会連合会』のニーナ・リュトファーリエヴナ・フォミナー副会長に旭日双光章を伝達しました。この名誉ある褒賞は、2008年春の叙勲に際し、全51名の外国人叙勲者(そのうち2名はロシヤ人)のお一人として、日本とロシヤの間のとくに青少年や一般市民の文化友好交流の促進に寄与した功績にたいし、フォミナーさんに授与されることになりました。20081030太平洋の星)

 

1016日に「日本人墓地が火事です!」とのご連絡をくださった方々についての記事です。

日本人たちがハバーロフスクの森に帰ってくる

 日本のエコロジストたちは、来年、ハバーロフスク近郊での植林を再開する予定です。これについては、タチヤーナ・イヴァノーヴァ・ハバーロフスク市行政府国際関係局長と日本の武蔵野市の代表団の会合で話し合われました。武蔵野市の方々は、1998年から2007年にかけて5月の初めにヴォローネジ地区にチョウセンゴヨウとカラマツを植えてきました。10年間で、日本側は、現在30ヘクタールの土地に生えている30000本の苗の植林におよそ2000万円(500万ルーブリ以上)を費やしました。指摘しておくべきなのは、日本人の方々は、休暇の際に来訪され、苗の購入費も営林場の専門家たちの作業代も支払っている点です。今年は、ハバーロフスクの記念日を祝う過密なプログラムのために植林は行われませんでした。けれども、来年、再開される予定です。といっても、これまでのヴォローネジではなく、ボリショーイ・ヘフツィール自然保護区域の境界付近においてです。日本の客人たちはすでに将来の作業場所を視察しました。市役所での会合で、日本の代表団の団長の安藤栄美さんは、ハバーロフスクの営林署の幹部に、経費の見積もりを立てるために苗木がいくらするかという情報を提供するよう要請し、植林および樹木の世話にかかる費用を負担するとロシヤ側に申し出ました。安藤さんのお話に拠りますと、来年は、エコツーリズムに関心のある武蔵野市民ばかりでなくその他の町の住民にも植林への参加を呼びかけるということです。マリーヤ・シチノーヴァ記者(200844-10/29-11/4論拠と事実

 

◎墓参会の際に一部で話題になっていた当地方の「七不思議」についての記事です。

アムールトラが制す

 国営テレヴィラヂオ会社『極東』のヴャチェスラーフ・コーレネフ・テーマ番組編集長が明らかにしたところに拠りますと、地球上で最大のネコ科の猛獣アムールトラが、投票総数15000のうち3600票を集めて、ハバーロフスク地方の七不思議の筆頭となりました。『ハバーロフスクの七不思議』の選定は、当地方の創建70周年の祝賀の枠内で、テレヴィラヂオ会社『極東』と地方政府によって企画されたもので、8月末に開始され、1024日に結果が発表されました。コーレネフさんが語ったところに拠りますと、文句なしの1位はアムールトラ、2位は1700票を集めたドゥッセー・アリーニ山脈(ブレヤー山脈北部)の秘境、3位はハバーロフスク地方のもっとも到達困難な一隅のひとつシャンタールスキイ諸島で、さらに、山の湖アームト、アムールの鉄橋、蓮、そして、エジプトのピラミッドと同じくらい古いシカーチ・アリャーンの岩絵が七不思議に選ばれました。ラリーサ・ドクチャーエヴァ記者(20081019沿アムール報知)

 

(※ちなみに、先日、南隣の沿海地方の日本海沿岸に広がる世界自然遺産『中央シホテー・アリーニ』の切手を中央郵便局の記念切手コーナーで見かけました。額面が789ルーブリの4枚綴りの切手で、山脈、谷間の霧、混交樹林、ツツジ、アムールトラなどがデザインされています。)

 

☆極東奇譚・その一/田中隆☆

おかしな案山子の話

 

新年もまだ明けきっていないような在る日の夕方、セイリシェヴァ通りに程近い、ヴォロチャエスカヤ通りから、ジェルジンスコヴァ通りに抜ける小道をてくてく歩いていると、なんだか奇妙な、おばさんの案山子が立っています、

顔は、カラボークのようにまん丸で、ぞろりとぼろを着て、ひょろりと立っています。

 その近くのテーブルに、変なおじさんが、でれでれと、いやにだらしなく坐っています。

『酔っぱらいかな。この寒いのに』と思いながら近付いていくと、やっぱり、おじさんも案山子でした。

誰が作ったかは知りませんが、バケツにシャープカを被せ、ピンク色に塗った紙にひげを貼り付けた顔は、なんだか、マローズで紅潮したロシア人のおじさんに良く似ていました。決して丁寧ではなく、というより、かなり粗雑な作りなのですが。坐わっている足など、もうぐにゃぐにゃで。でも、それが、酔っ払って腰の砕けている様子に見えるから、おかしなものです。

『はは。そりゃそうだ。この寒いのに、一人でこんな所で座り込んでる人がいるわけないよな』と思い、そこを通り過ぎたのです。

 数日後、また同じ場所を通りかかると、もう、案山子たちはいませんでした。きっと誰かが片付けてしまったのでしょう。何とはなしに残念な気がして、『別に、片さなくても良かったんじゃないかな。面白かったし』などと、つらつら考えながらそこを通り過ぎ、ジェルジンスコヴァ通りの手前まで来ると、ガレージの影から、へんなおじさんが出てきました。

 よたよたと私にむかって歩いてきて、ぶるぶると手を振り回しています。

「おい、若いの。おれは、今日、朝から何も食っちゃあいないんだ。10ルーブルでいいから。おれにパンを買わせてくれよ」

 私は、何の気なしに、ポケットからしわくちゃになった10ルーブル札を取り出して、おじさんに差し出しました。

「恩に着るよ」と云って、おじさんは、また、ぶるぶると手を振り回しながら、よたよたと、元来た方へと戻っていきます。

『どうせ、パンなんか買わないで、ビールか、サマゴーンでも買う足しにするんだろうな。やれやれ、ロシアの酔っ払いときたら』で、ふと気が付くと、私は、今まで、金をせびられても、一銭足りとやった事がなかったのです。何で今日に限って。と振り返ると、案山子おじさんの坐っていたテーブルが眼に入りました。

『そういえば、今のおじさん、案山子のおじさんにちょっと似てたかな。それとも、やっぱり、案山子だって、こんなに寒ければ飲みたくもなるだろうから、酒を探し歩いて、ふらふらしているんだろうか』

 なんだか可笑しくなって、くすりと笑い、すん、と洟を啜り上げ、上着のポケットに手を突っ込み、足元に気をつけながら、てくてくと、私もその場を去ったのです。

 

☆山下雅司さんの小説「時空の旅人」☆ 〜連載・第15回☆

 


其之   二 

 

 

 昨夜、相談した通り直接、集落に入るのは避ける事にした。

 ここまで来たら慌てる事は無いので、もう少し集落に近づき様子を観察する事にした。 やはり何処からでも直ぐに目に付くのは人工の丘陵だった。丘の高さは四〇メートルぐらいはあるだろうか、木々の類は一切無く、底木のシダの群生も見られない。丘全体が芝生で蓋われている。近づくにつれその全貌が良く観察できる。台形の頂上は見えない。

 何か儀式の施設がある可能性が考えられる。

 昨日、丘の上から太陽の光を反射して白蛇のように見えた、集落の近くを流れる川と思われる処に辿り着いた。

「見るからに魚の遡上しそうな清き流れをしている」

 と、マリーンが感心した様に言った。

「あの丘に登れれば、集落全体が見渡せるのだが・・・」

「あれじゃ裸山同然で、すぐに見つかってしまいますよ」

 それは杉浦に言われる迄もなく承知のことだった。

 高木は一寸考えていたようだったが、ふと思いついたように言った。

「ウエスト・ケネットのロングバローに行ってみましょうか」

 最初の旅の目的は、あの墳丘墓を確認する事であったと高木は思い出した。

 別に大した目的のある旅では無かった。誰にも異存はなかった。

「方角は判る?」

 マリーンの問いかけに、この川はケネット川と当たりをつけて、

「多分、ケネット川沿いにあったはずだから、川から南東方向の丘の上だと思います」

 記憶を振り絞り高木は答えた。

「其ならあちらの方角だな」

 と、言いながらマリーンは歩き出した。

 川に出るまでは背丈ほどまで伸びた、シダ類の間をぬって進んだ。川辺が近づいてきたのか足元は湿地帯と変わり、足跡に濁り水が溜まるようになった。

 マリーンは立ち止まり背負っていた板橇を下ろした。

 橇の上に腹ばいになると、両手で水を掻ながら進み始めた。

 杉浦と高木もそれに従った。この板橇は本来、湿原や河を渡る為に持参したものだが、腰を下ろす時や寝るときにはマット代わりにもなったし、風や雨除けにも役だった。実に重宝な物だった。

 人工の丘陵に見える南東を目標に進んだ。

 奇妙な場所に差しかかった。雑木林の細めの枝を樹皮で編み込んだ物を、湿原に敷詰めた場所に出会ったのだった。マリーンはその上に乗り立ち上がった。

 多少不安定だが十分に歩く事が出来た。丁度、沼地とも湿原とも言えるこの場所を、小さな砂地と乾いた陸地を結ぶ役割を果たしており、太古の道路とも言える様な物だった。

 丸太が並んだこの道の幅は一メートルぐらいで、お世辞にも立派とは言えない物だが、数千年前の新石器時代だ。最古の人類が作った人工の道、即ち道路と言える。

「これは凄いですねぇ・・・・新石器時代の人々を見直しましたよ」

 マリーンも感心していた。高木も同じ思いだった。

 歩き難い処を歩き易くする。渡れない処を渡れる様に、改良する。現代では当たり前の事かも知れないが、道を作ると言う発想を、人類で最初に考えた人々だ。

「この道を辿り、丘のほうに向かえば墳丘墓に行き着けるかもしれませんよ」

「人工の道は人と出会う可能性がありますよ」

「その時はその時だね、歩き易さを考えたら、この道を行こう」

 マリーンはそう言うと、二人を促して丘に向かって歩き始めた。

 湿地帯を抜けて小高い丘に差しかかると、丘の上に黒い塊が見えた。

「あった!あった!きっとあれだ」

 高木は思わず大声を上げてしまった。

「良かったですね。来た甲斐がありましたね」

 杉浦の言葉にマリーンも嬉しそうに頷いた。明らかに道と思われるものが、丘の上の方まで続いている。丘を登り切ると巨大な岩が目に飛び込んできた。

 変わらない。今も未来も、巨石建造物の名に恥じない見事な大きな岩だ。後世、ウエスト・ケネット・ロングバローといわれる、巨大な細長い古墳の様な墳丘墓だ。近くに来て丘全体を見渡すと、いかにも丘の上に作られた人工の丘と言う事が出来た。

 長さは約百メートル、高さ約三メートル、横幅は入口の方にあたる東側で、三〇メートル、西側の奥に行くに従い、次第に細くなっていて西端は一五メートル。

(オタマジャクシ)の様な形をしていてお墓は西の方角に細長く伸びている。

 人工の丘陵で東の入口と思われる処に、巨大な岩を中央に、石灰岩と思われる七個の巨石が屏風岩の様に立ち並んでいる。其の後ろに、お墓の入口の石扉がある。

 巨石の前は広場になっていて、手入れが行き届いた芝生が広がっている。

 中央の巨石は高さが三メートル程で横幅が四メートルはある。中心に自然の大きな裂け目が、中央に上から下に走っていて、ゴーディス・ストーンと言われるものだ。

(女神の石)とも言われ、女性崇拝と言うより、再生を願う古代人の願望が、割れ目の入った石や木の股等に、再生の思いを祈る古代信仰の一つだ。

 高木はこのヨーロッパ大陸で最大の規模を誇る、巨石を伴う墳丘墓を三度訪れている。 信じられない事だが、それは今から数千年後のこの墳丘墓の未来の姿だった。

 基本的な姿は殆ど変わっていない。巨石の左側にある、他の石とは一味違う溶岩が固まった様な奇妙な形をした、後ろの入口の門とも思える石も同じ形をしている。

 入口の扉は三メートルの幅があり、三個の巨石により塞がれているが、高木は墳丘墓の中の石室の間取りまで知っている。

 石室は全部で五つ。一番奥の石室まで壁も天井も石で造られた、細長い廊下があり、廊下から枝分かれするように左右に二つずつの石室がある。手前の二つは小部屋で子供の遺骨を納めたらしい。左右に分かれているのは多分男女別だと思われる。

 この巨大墳丘墓は合葬式のお墓で、第二次葬、つまり骨になった状態でこの墳丘墓に正式に埋葬されると思われていた。これは総て後世の考古学者の推測に過ぎない。

 高木は前に見学した時の、部屋の間取りを思い浮かべた。

 一番奥の部屋の西側に(入り口から通路を通り正面の壁にあたる)大きな一枚の石がはめ込まれている。そこの石は何か所にもわたり、石の表面に切り込みが入れられている。 正面にあるこの大きな岩も女神の石と思われる。他の四つの部屋にも、それぞれの部屋に合わせた大きさの、女神の石と思われる石が壁にはめ込んであった。

 そこは石室と言うより、石に刻まれた切り込みを見ると、儀式の場で、魂の再生を願い祈りの儀式が執り行なわれたのではないかと高木は考えていた。しかし、あくまでもそれは高木の推測に過ぎない。

 それともこの部屋が西側の一番奥に辺り、一番大切な重要な人を埋葬したのかも知れない。其の疑問が解き明かされるかも知れないと言う、その興奮がじわじわと沸いて来て、高木は震えが止まらなかった。


 

☆地元の学生さんたちのスピーチ☆ 〜連載・第13回〜

(本紙25号より2006年の第7回ハバロフスク日本語弁論大会で入賞された方の弁論を掲載させていただいております。今回は、スピーチの部(特別枠)で2になられた方のお話です。なお、所属は、20064月当時のものです。)

 

私の好きな町

極東外国語大学1年 

ミシューリ・マリーヤ

 みなさん、好きな町がありますか。みんな、自分の好きな町があります。それは、自分の生まれ育った町とは限りません。一回見たら、すぐその町が分かります。

 私の好きな町は、静岡県の富士市です。私は、海の近くにあるこの町に心をささげました。その町は、他の町と同じに見えます。でも、どうしてか分かりませんが、私は富士市が大好きです。その町で、私は初めて日本と出会いました。そこには、珍しい、特別のものはありません。でも、暖かくて、優しい風があります。それから、太陽の光が、私の友達の家の黄色いカーテンの間から差します。この窓の外に、何か美しくて特別なことがあるはずだ、と感じます。そして、カーテンを開けると、富士山の立派な姿にびっくりします。何よりも、そこには友達がいます。友子さんと子供たちは、私の親友です。私たちは別れる時、とても寂しくなります。私たちは、国も年もぜんぜん違いますが、友達になりました。私はとても不思議です。忘れられない思い出のひとつは、朝五時に海まで散歩して、新しい日を迎えたことです。日本人はどうして海が好きなのでしょうか。友子さんは、「海は気持ちを落ち着かせてくれたり、人生のことを考えさせてくれたりするから」と言います。

 私は海も好きですが、心は町にささげています。好きな町を見つけた人は、その町にいなくても、その町のことを考えたり、町の姿を思い出したりします。私はいつも富士市の姿を思い出します。毎日、写真や地図を見ます。そうすると、町の様子を全部思い出すことができます。初めは、この町のことを何とも思いませんでした。でも、初めの花が咲くのを見て、太陽が昇るのを見て、友達を作って、だんだん好きになりました。ある日の朝、布団の中で目が覚めると、突然、「この町が自分の心で、自分のふるさとだ」ということが分かります。私もこのような経験をしました。

 豊かな富士市の思い出は、たくさん残っています。その思い出は、うれしかったり、楽しかったりして、今全部は夢のようです。でも、飛行機を見たり、飛行機が飛ぶ音を聞いたりすると、いろいろなことを思い出して、幸せの涙が出ます。そして、そのときにひとつのことを考えます。人々がもっと旅行して、他の町をたくさん見たら、この世界がいかに巨大かが分かると思います。いろいろな国の文化や習慣や宗教などが正しく分かると、

この世界の美しさを守ることは大事なことだと分かります。その人の民族や、住んでいる大陸などはあまり大切なことではない、と思います。私たちの上にある空は一つです。私たちと同じ、人の手で建物や町が作られました。

 太平洋の近くの町がいつも私の心の中にあります。そこには、いい人たちが大勢住んでいます。私はそれぞれの人に、私と同じように自分の好きな町を見つけてほしいと願っています。

 

♪ハバーロフスク地方フィルハーモニー・コンサートホール(シェフチェーンコ通り7)の

11月の公演案内より♪

11/2(日)12:00】学生フィルハーモニー開幕「舞台に同い年たち」(出演:ハバーロフスク国立芸術文化大学とコク律ハバーロフスク地方芸術カレッジの学生さんたち)

11/6(木)18:30】国際コンクール入賞者のアイダール・ガイヌーッリン(バヤーン、モスクヴァ)

11/7(金)18:30】極東作曲家総会閉幕 Y.ヴラヂーミロフ「ピアノとオーケストラのための極東交響曲」A.ノーヴィコフ「2つのヴァイオリン、グランドピアノ、オーケストラのためのコンチェエルティーノ」(演奏:イリヤー・ヂェルビーロフ指揮&極東交響楽団、独奏:国際コンクール入賞者のヴャチェスラーフ・ポプルーギン)

11/8(土)17:00】フィルハーモニーの劇場『ゲリコーン』A.S.プーシキンの戯曲による『ボリース・ゴドゥノーフ』(出演:マリーナ・クンツェーヴィチ、ピアノ:ヴラヂーミル・ブードニコフ)

11/8(土)18:30】ウクライナ合唱団『バチキフシカ・クルィニツャ』(演目:ウクライナ民謡)

11/12(水)12:00小ホール】フィルハーモニーの四重奏団『アレグロ』(演目:M.I.グリーンカ、P.I.チャイコーフスキイ、D.B.カバレーフスキイなどの作品)

11/15(土)12:00N.A.リームスキイ=コールサコフ作曲・交響組曲『シェヘラザード』り、12楽章(演奏:イリヤー・ヂェルビーロフ指揮&極東交響楽団)

11/15(土)17:00小ホール】母の日に寄せて「私たちと私たちの子どもたち」

11/15(土)18:30】ドイツの器楽アンサムブル(ヴァイオリン:ミハイール・ヴァーイマン、ピアノ:ヂーナ・イオーッフェ)L.vanベートーヴェン・ヴァイオリンソナタ第10番ト長調作品96P.シューマン・交響的練習曲、F.ショパン・舞曲、H.ヴィエニアウスキ、I.ブラームス、M.deファリャ、B.バルトークの舞曲

11/20(木)12:00小ホール】家族年にコンサートホールにご招待(演奏:リュボーフィ・クリュコーヴァ、ヴァレーリイ・クラユーシキン、演目:アリア、歌曲、ロシヤおよびウクライナの民謡、声楽二重唱)

11/20(木)18:30】ピアノ音楽の夕べ(演奏:国際コンクール入賞者のオレーグ・ヴァインシテーイン〔サンクト・ペチェルブールグ〕)

11/22(土)18:30プラチナ・アリーナ】シムフォジャズ:20世紀の伝説のメロディ ビッグ・バンドとシムフォジャズ・オーケストラ(芸術監督&指揮:セルゲーイ・ジーリン)

11/22(土)18:30】声楽の夕べ「岸を離れしルーシ」(演目:G.スヴィリードフ、R.グリエール、M.シャポーリンの作品、出演:ロシヤ功労芸能家ヴェロニーカ・カシヤーノヴァ、ピアノ:イーゴリ・モーシン)

11/23(日)18:30】極東交響楽団 S.プロコーフィエフ・ピアノ協奏曲第2番ト短調作品16D.ショスタコーヴィチ・交響曲第5番ニ短調作品47「革命」(独奏:オレーグ・・ヴァインシテーイン〔サンクト・ペチェルブールグ〕、芸術監督&指揮:イリヤー・ヂェルビーロフ)

11/26(水)12:00小ホール】子どもたちのための人形音楽ショー「冬の森での新年の冒険」

11/26(水)18:30小ホール】「花ざかりの庭」花についての声楽および器楽 P.シューマン「ハスの花」、R.シュトラウス「ヤグルマギク」、J.シュトラウス「ウィーンのスミレ」、S.V.ラフマーニノフ「リラの花」、A.グレチャニーノフ「マツユキソウ」(ソプラノ:ナヂェージダ・ガラーニナ、フルート:国際コンクール入賞者のクセーニヤ・レヴァコーヴァ、ピアノ:ヴァシーリイ・ザハーロフ)

11/27(木)18:30】オルガン音楽の夕べ(演目:M.デュプレ、L.ヴィエルヌ、K.サン=サーンス、C-M.ウィドール、S.フランク、M.デュリュフレの作品、独奏:ロジャー・セイアー〔イギリス〕)

11/28(金)18:30】ポピュラー・クラシック G.ペルゴレージ「スターバト・マーテル」ソリスト、合唱、オーケストラのためのカンタータ、G.ヘンデル「水上の音楽」、V.A.モーツァルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(演奏:イリヤー・ヂェルビーロフ指揮&室内楽団『セレナーダ』、独唱:ヴェロニーカ・カシヤーノヴァ〔ソプラノ〕、エレーナ・グルシェーンコ〔メヅォソプラノ、ヴラヂヴォストーク〕、合唱:ハバーロフスク国立芸術文化大学・女声合唱団)

11/29(土)30(日)18:30】コンサートアンサムブル『ダーリニイ・ヴォストーク』結成30周年に寄せて

(※チケットの有無などの問合せの電話番号は、31-63-68(コンサートホールのチケット売場)、32-89-5131-61-34、サイトは、www.phildv.ruです。)

☆ラヂオの冬季周波数☆

NHKワールド・ラジオ日本」放送時間・新周波数表20081026日〜2009329


東南アジア向け

    日本時間   kHz

日本語 11.00-12.00 11860

11.00-14.00 17810

       17.00-19.00 11740

       19.00-02.00 11815

       02.00-04.00  7225

       06.00-07.00  7225

       07.00-09.00 11665

 

<<アジア大陸向け>

          日本時間   kHz

日日本語 11.00-14.00 15195

        16.00-17.00  9750

        極東ロシア   6145

        極東ロシア   6165

17.00-02.00  9750

        02.00-04.00  6035

        05.00-07.00  6085

        05.00-09.00 11910

         06.00-07.00  7255

7        07.00-09.00 11665

 

露語   12.30-13.00 15300

        22.30-23.00  6190

(以下、極東ロシア向け)

14.30-15.00 11715

       14.30-15.00 11760

       17.00-17.30 6145

       17.00-17.30 6165



◎ロシヤ国営ラヂオ「ロシヤの声」日本語放送・新周波数表

20081026日〜2009228

日本時間 21.00-22.00  中波 630 720  短波 5920      6170 6180kHz

日本時間 22.00-23.00  中波 630 720  短波 5920 6005 6170 6180kHz

200931日〜2009328

日本時間 21.00-22.00  中波 630 720  短波      6170 6180 9495kHz

日本時間 22.00-23.00  中波 630 720  短波 6005 6170 6180 9495kHz

(受信環境によってラヂオによる聴取が困難な場合がございます。)

*HPアドレス http://www.ruvr.ru (日本語直通 http://www.ruvr.ru/index.php?lng=jap

*リスナーズクラブ『日露友の会・ペーチカ』http://www.geocities.jp/pechika041029/


(上記のサイトでインターネット放送(リアルオーディオ&オンデマンド)をお聴きいただけます。)


*ハバーロフスク支局では番組『シベリヤ銀河ステーション』のコーナーに友情出演してくださる方を募集しております。スタヂオ見学もどうぞお気軽に。(21-41-0732-45-46 / 岡田)

 

【編集後記】次号の原稿の締切りは、200812月末日です。趣味のお話し、イヴェント&暮らしの情報、離任着任メッセージ、詩歌やエッセイ、旅の思い出など、みなさま、お気軽に編集担当(岡田和也)までお寄せください職場32-45-46自宅пFax21-41-07/メールokada@mail.redcom.ru)。首を長くしてお待ちしております。