84日付 朝日新聞 社説

 

裁判員始動―市民感覚を重ね合わせて

 

 

 黒い法服の裁判官3人だけが占めてきた裁判官席。そこに私服の6人が二手に分かれ、裁判官たちを挟んで座った。後ろには補充裁判員3人も控えた。こうしてきのう、市民が参加する裁判員裁判が始まった。

 

 陪審制があった戦前の一時期を除き、連綿と続いてきたプロだけによる日本の裁判に、主権者である国民の代表が参加した歴史的な日である。

 

 最初の審理として東京地裁で裁かれているのは、72歳の男が隣人の女性を刺殺した、として殺人罪で起訴された事件だ。

 

 法廷からは、供述調書や鑑定書といった書類の山が消えた。代わりにモニター画面に、主張や証拠物の要点をまとめた文章や画像が映しだされた。検察官や弁護人は、裁判員の方を向いて口頭で訴えた。これまで飛び交っていた法律家の専門用語はかなり減った。

 

 裁判員の負担を減らすため、審理は集中して行われる。この裁判も4日連続で審理し、判決を言い渡す予定だ。

 

 これまでは公判の間隔を空け、裁判官は法廷外で調書を読み込んだ。しかし、裁判員が膨大な書面を読むことはできない。法廷で繰り広げられる証人尋問や被告への質問をみて、検察官による有罪の立証に合理的な疑いがないかを判断することに力点が置かれる。

 

 この法廷中心の審理こそが、日本の刑事裁判を大きく変えることになると期待されている。

 

 捜査員は容疑者から供述を得ることに心血を注ぐ。取調室でひとたび自白すれば、被告が法廷で否認しても、裁判官は自白調書の方を重視する傾向が強かった。

 

 それが「調書裁判」といわれ、法廷が検察の起訴を追認する場になっていると批判されてきた。過度に自白調書に寄りかかる裁判が、今日まで続く冤罪史の背景の一つになってきたことも否めない。

 

 司法に市民が参加してきた歴史を持つ欧米では、陪審員や参審員の目の前で行われる法廷での審理が中心だ。それとは異質な日本の刑事司法の姿は、「ガラパゴス的」といわれてきた。その孤島へ、裁判員といういわば「新種」が上陸してきたわけだ。

 

 裁判員に求められているのは、日々変わりゆく社会に身を置き、虚々実々の世間を生きている庶民ならではの感覚だ。プロの裁判官が持ち得ないような視点こそが大切なのだ。

 

 そんな市民の視点を反映するには、裁判官との評議で裁判員たちが自由に意見を言えることが前提となる。その雰囲気を作るのは裁判官の責任だ。

 

 この制度には、人々の間になお困惑や抵抗感もある。制度を定着させ、皆が共感できるようにするには、市民の感覚を判決に生かした実績と経験を着実に積み重ねていくことだ。

 

(C)朝日新聞 200984

 

 

84日付 中日新聞 社説

 

裁判員スタート 扉は市民に開かれた

 

 

 裁判員裁判が始まった。刑事司法に対する国民参加は、日本社会を大きく変えるきっかけになり得る。「市民主体」を念頭において制度を磨き上げ、透明で市民常識の反映する司法を築きたい。

 

 東京地裁で審理が始まった第一号の事件は、隣人同士の紛争が殺人に発展したケース。検察、弁護側の間に深刻な対立はなく、焦点の量刑決定に市民感覚がどう影響するか注目される。

 

 法廷では、被告人が看守と離れて弁護人の隣に座り、事件の説明にイラストやコンピューターグラフィックスが使われるなど、従来とは様変わりした。裁判員に有罪との予断を与えず、かつ分かりやすくという工夫である。

 

 法律家だけの裁判では気づかなかった疑問点、問題点には今後も柔軟に対応してほしい。

 

 新方式にはある種の違和感があるかもしれない。だが、以前とむやみに比較して法律専門家のみによる裁判の権威を懐かしがるのは慎み、制度を定着させたい。

 

 裁判員が判断を誤らないような訴訟活動をするのが専門家たる検察官、弁護人の役割だ。裁判官は市民主体を意識して訴訟を運営しなければならない。

 

 司法制度改革の重要な柱である裁判員制度は、法律家のエリート意識に支配されていた司法界の扉を市民に開け放った。その効果は各方面で既に表れている。

 

 裁判官による裁判でも、「疑わしきは被告人の利益に」という原則を強く意識した無罪判決が珍しくなくなった。

 

 検察も市民の目を意識するようになった。福知山線の脱線転覆事故でJR西日本の社長を起訴したのはその一例だ。微妙な事故責任の判断を検察段階で完結させず、公開の法廷にゆだねたのは開かれた検察への第一歩と評価できる。

 

 懸念は国民の参加意識である。今回、少数ながら早くも呼び出しに応じない裁判員候補者がいた。市民は統治主体者、つまり国を動かす主役としての自信と使命感を持ち積極的に参加したい。

 

 参加をためらわせる制度上の問題点解消も急務だ。例えば、法律家だけで争点を煮詰める公判前整理手続きは、相変わらず専門家が裁判を仕切っているようだし、裁判員の守秘義務は厳しすぎて経験共有の障害になる。

 

 市民が扉を意識しない司法の実現を目指し、参加しやすいよう、参加したくなるよう、制度の改善にたゆまぬ努力が求められる。

 

(C)中日新聞 200984

 

 

84日付 日本経済新聞 社説

 

裁判員制度生かし民主主義を鍛えたい

 

 

 市民参加の法廷が幕を開けた。きのうから東京地裁で始まった全国で最初の裁判員裁判である。

 

 プロの裁判官らの両脇に3人ずつ計6人の裁判員が並ぶ。普段着の女性5人に男性1人。主婦だろうか、会社員だろうか。本当に普通の人たちが法廷のひな壇にいる。歴史的な光景といっていいだろう。

 

 今年5月に東京都足立区で起きた隣人殺害事件の被告人をここで裁く。都内のあちこちから集まってきたこの人たちが連日の審理に臨み、評議を繰り返し、6日には判決言い渡しにこぎつける運びだ。

 

国民が公権力チェック

 

 裁判官、検察官、弁護士。法曹と呼ばれる専門家だけが難しい言葉を交わし、世間には敷居の高い存在だったのが刑事裁判だった。

 

 そこに、くじ引きで選ばれた一般国民が参加する裁判員制度は、司法に市民の健全な常識を反映させるのが目的だ。法廷で見て聞いて分かる審理を目指さなくてはならないから、刑事裁判のありようが根本的に変わっていくのは間違いない。

 

 しかし、この仕組みはもっと大きな可能性を秘めている。日本の民主主義を鍛える効果である。

 

 だれもが裁判の過程に深くかかわり、有罪無罪のみならず量刑まで決める。これは普通の人々が社会正義の実現に直接携わることであり、公権力の行使に対する積極的なチェック機能を果たすことも意味する。

 

 そのために、お互いに何のつながりもない市民が議論を重ねることになる。多くの日本人が体験したことのない世界に違いない。この体験の積み重ねは、主権者としての意識を高めることにつながるはずだ。

 

 つまり、裁判員制度の導入は司法改革であるとともに政治改革であり社会改革でもある。欧米などで司法への国民参加が当たり前になっているのは、選挙と並んで民主主義の基本だと考えられているからだ。

 

 日本でも、すでに明治の自由民権運動のなかで陪審制の導入が唱えられていた。当時の新聞なども後押ししたという。しかし機運は盛り上がらず、導入に動き出したのは大正デモクラシーの時代だった。

 

 「人民が参政の権を与えられたるに、ひとり司法制度は何ら国民の参与を許されざりき」。ときの原敬首相の言葉が残っている。昭和の初めになって、そんな「国民の参与」は限定的とはいえようやく実現したが、社会に十分に定着しないまま戦時体制の下で停止に追い込まれた。

 

 60年以上を経て誕生したこんどの裁判員制度は、往時の陪審制とは比較にならない本格的な国民の司法参加である。なのに、まだまだ国民の参加意欲は高いとは言えない。

 

 内閣府の最近の調査では、候補者になった場合に「義務か否かにかかわらず行きたい」という積極派は13%にとどまる。「義務だからなるべく行かなければならない」との消極的参加派が57%、「義務でも行くつもりはない」が25%あった。

 

 この調査結果には、裁判員に選ばれれば仕事や生活に差し支え、精神的な負担も重いという不安がにじんでいる。今回の第1号裁判では最終的に呼び出しを受けた人は大半が地裁に赴いたが、事前に辞退希望者が相次いでおり、裁判所もこれを幅広く認めざるを得なかったようだ。

 

 背景には、最高裁などによるPRが「司法に国民の声を」と強調はしても、制度のより深い意義を十分に訴えてこなかったという問題もあろう。ことの本質をあいまいにして「プロが一緒だから心配しないで参加を」と呼びかけるだけでは、辞退に傾く気持ちはぬぐえまい。

 

守秘義務の見直し急げ

 

 この制度が民主主義を強くする仕組みだという意識を、一人ひとりに持ってもらう必要がある。今からでもそこを繰り返し説き、参加意欲を高めていくべきだ。裁判員になるのは義務である以上にまたとない権利だという意識を育てていきたい。

 

 同時に、制度の改善も欠かせない。とりわけ裁判員の守秘義務違反に懲役刑まで設けた厳しい規定は見直すべきだ。これでは裁判員体験を社会が共有するのに制約となる。市民参加の評議とはどんなものか、経験者がそれを伝えていかなくてはせっかくの制度も意義が半減しよう。

 

 裁判員を送り出す企業も地域社会も家庭も心構えがいる。特に、仕事のやり繰りが難しいからといって会社側が協力を惜しみ、辞退者が増えるようでは困る。幅広い層の人々が参加してこその市民法廷なのだ。

 

 この制度は日本人の国民性に合わない、集団主義的で権威に弱いからプロの裁判官の言いなりだ。そんな指摘もある。しかし、かつての陪審制でさえ市民は法廷で声をあげ、活発に意見をたたかわせたという。無罪率が増えたのも事実だ。

 

 21世紀の日本人が新たな民主主義を獲得できるかどうか。裁判員制度の行方は重い意味を持っている。

 

(C)日本経済新聞 200984

 

 

84日付 産経新聞 主張

 

裁判員裁判 定着に向け努力を尽くせ

 

 

 一般の国民が1審の刑事裁判に参加する「裁判員裁判」が、全国のトップを切って東京地裁で始まった。わが国の刑事司法を大きく変革する制度だけに、その審理過程を注視したい。

 

 裁判員制度については、いまなお少なからぬ国民が疑問を抱いていることも事実だ。制度の定着に向けて、法曹関係者にはさらなる努力を期待する。

 

 裁判員裁判の第1号となったのは、今年5月に東京都足立区の路上で、72歳の被告が当時66歳の女性をナイフで刺殺したとして、殺人罪に問われた事件だ。

 

 裁判員法で定められた証拠を絞り込み、争点を明白にする公判前整理手続きで、被告は起訴事実を大筋で認めている。このため、公判では裁判員が被告にどのような刑の重さ(量刑)が適当かを判断し、被害者遺族の処罰感情をどこまで認めるかが焦点となった。

 

 初公判前の午前中に裁判員の選任手続きが行われ、6人の裁判員(女性5人、男性1人)と3人の補充裁判員(男性3人)が選出され、午後から公判がスタートした。初日は大きな混乱もなく閉廷した。公判は判決言い渡しの6日まで連日開かれる予定だ。

 

 この日は、裁判長が緊張している裁判員の精神的負担を配慮して、休憩時間を適宜とるなどの工夫もみられた。今後の裁判員裁判の参考にしたい。

 

 裁判員制度は国民の社会常識といえる感覚を裁判に反映させることが目的だとされている。それだけに、裁判員に選ばれた人は、法廷での検察側・弁護側双方のやりとりに公平な立場で耳を傾け、判断することが求められる。法廷では臆(おく)することなく、疑問点があれば、どしどし質問してほしい。

 

 一方、検察官や弁護人は、これまでの裁判のように難しい専門用語での応酬は避け、裁判員が見て、聞いて、分かりやすいやりとりが要求される。この日の公判では双方にその努力が見られた。

 

 裁判員は判決後に記者会見する予定だが、この会見の場では裁判に参加した感想や疑問に感じたことなどを積極的に発言することを期待したい。これから裁判員を経験する人にとっては、大きな参考となるからだ。

 

 また、今回の裁判終了後には、問題点や課題を洗い出す検証作業も欠かせない。見直す点があれば迅速に対処し、今後の裁判員裁判に役立てる必要がある。

 

(C)産経新聞 200984

 

 

87日付 毎日新聞 社説

 

裁判員裁判 順調に始まったけれど

 

 

 全国第1号の裁判員裁判となった東京都足立区の殺人事件の公判が東京地裁で4日連続開かれ、殺人罪に問われた被告に懲役15年(求刑、懲役16年)の判決が言い渡された。新聞やテレビが連日大きく報道する中で、裁判員の1人が風邪で交代したが、大きなトラブルはなく順調なスタートを切ったと言えるだろう。

 

 検察官や弁護人は難解な用語を平易な言葉に換え、写真やイラストを使うなど、周到な準備でわかりやすい説明に努めた。裁判員も緊張した様子だったが積極的に質問した。目の前で被害者の家族が証言するのを聞いた女性裁判員は、警察が作成した調書の被害者像との違いについて質問した。市民の新鮮な感覚が司法や捜査の「常識」を変え得る可能性を感じた人も少なくないはずだ。

 

 今回は殺意の程度と刑の量定が注目されたが、被告が起訴内容を認めたため、当初から事実認定や法令の適用については意見の相違がないだろうと予想されていた。今後は被告が否認し、捜査段階の供述や鑑定を巡って議論が分かれるケースも出てくるだろう。司法を身近なものにする裁判員裁判が定着するために、改めて課題を指摘しておきたい。

 

 まず、4日間という審理と評議の日程は適切だったかどうか。裁判員の負担も考慮しなければならないが、比較的単純な構図の事件でも審理時間の足りなさを感じた裁判員がいたことが気になる。初公判前に証拠や争点を絞り込む公判前整理手続きはすでに各地裁で事件ごとに進められているが、実際の公判がこのような短期間では、手続き次第で裁判員裁判は形だけのものになる恐れがある。検察官は求められる証拠はすべて出し、弁護人も争点を示して審理計画を立てるとされているが、非公開で行われるため国民の目でチェックすることはできない。

 

 今回はマスコミが注目したこともあってか、裁判官のきめ細かい配慮がうかがえたが、これから各地裁に登場する裁判員も初体験の人ばかりであり、より一層の配慮を求めたい。裁判員も不明な点はおくすることなく質問してほしい。難解な専門性を砦(とりで)としてシロウトを踏み込ませなかった司法に国民感覚の風を吹き込むのが裁判員の役割である。

 

 また、裁判官は評議をどのようにリードしたのか、裁判員の意見はどう反映されたのかという点は最も関心の高いところだが、裁判員に課せられた守秘義務が壁となる恐れがある。裁判員は記者会見で「大役を終えたという実感だ」などと感想を述べたが、やはり評議の中身についても意見や疑問を聞きたい。不断の検証が国民の信頼を獲得するということを改めて強調しておきたい。

 

(C)毎日新聞 200987

 

 

87日付 朝日新聞 社説

 

裁判員判決―全員が語った体験の重さ 「被告人を懲役15年に処する」

 

 

 判決を読み上げたのはこれまで通り裁判長だったが、壇上には6人の裁判員も並んでいた。裁判員の参加した初の裁判が行われた東京地裁で、国民の代表が評議に加わった歴史的な判決が言い渡された。

 

 プロの法律家だけによるこれまでの裁判で積み重ねられた「量刑相場」に比べ、「懲役15年」をどう評価すべきか。評議の内容は非公開で、軽々には判断できないが、市井の人々がみずからの感覚を生かして真剣に取り組んだ結果は重く受け止めるべきだろう。

 

 判決後、裁判員全員と補充裁判員1人が記者会見に応じた。

 

 「ひとつのことを成し遂げたという感じです」。感想を聞かれ、1人の裁判員はこう答えた。別の裁判員は「本当にいい経験をさせてもらいました」と語った。

 

 裁判員経験者が自らの体験を社会に伝えることは、国民全体でその経験を共有することにつながるだけでなく、この制度を検証していくうえでも欠かせない。会見に応じることは義務ではないが、第1号の裁判員となった人々の積極的な姿勢はよい前例となる。

 

 裁判長の訴訟指揮で疑問に感じたことはなかったか。評議で裁判官が結論を誘導したことはなかったか。検察官や弁護人の説明は素人にも理解できるように工夫されていたか。点検すべきことはたくさんある。

 

 裁判員には重い守秘義務があるが、これから裁判員に選ばれる人々も積極的に体験を語ってほしい。

 

 裁判員たちは法廷でも全員が被告らに質問し、存在感を示した。

 

 警察官の調書は、被害者の長男が母親について「きつい性格」と話したと記していた。ところが法廷で長男はこの内容を否定した。裁判員の1人が調書にサインした経過を尋ねたところ、長男は「覚えていない」と答えた。調書の信用性に率直な疑問をぶつけたやりとりといえよう。

 

 裁判員たちのこうした努力によって審理は生き生きしたものになった。それこそが、市民の司法参加の効用と言えるのではなかろうか。裁判長は審理の節目で休廷し、裁判員の疑問点を確認していたようだ。

 

 評議の様子については外部からは知るよしもない。だが、補充裁判員は「意向が反映しやすいように準備されていた」と会見で語った。

 

 これから全国の地裁では、裁判員裁判が次々と開かれる。

 

 今回と違って被告が無罪を訴える事件や、死刑か無期懲役かの選択を迫られる、裁判員にとっては難しく、悩ましい裁判もあろう。整然と始まったことはよかった。しかし、制度の定着はこれからだ。試行錯誤を重ねつつ、制度を育てていきたい。

 

(C)朝日新聞 200987

 

 

87日付 日本経済新聞 社説

 

裁判員裁判で刑事司法を良くしよう

 

 

 4日間の審理・評議を経て、裁判員裁判の初めての判決が出た。

 

 判決要旨の書き方には従来とはかなり異なる部分があった。被告人がどんな心情で何をしたのかを判断する事実認定では、補足説明として事件の経過を9つの場面に分けて記述している。それぞれの場面ごとに裁判員の判断を裁判官が尋ねて事実認定を固めていったようだ。

 

 被告人の証言についても内容を細分し、本当のことを言っているか信用できないか、判断をつけていた。

 

 ただ判決要旨を読んだだけでは、評議の進め方や結論の導き方は分からない。裁判員が意見を十分に言えたのか、意見は判決にどの程度反映されたのか、裁判官は裁判員と対等の立場で接したかなど評議の実態を知る手立てがなければ、裁判員裁判を望ましい姿に近づける制度改善の議論はできない。

 

 今回、裁判員全員が判決後の記者会見に応じたように、貴重な体験をすれば、それを他人に伝えたいのが自然な人情だ。裁判員経験者のせっかくの語る意欲を妨げ発言内容を規制する、裁判員法の守秘義務条項は見直さなければならない。

 

 これから裁判所では、6人の一般国民が3人の裁判官とともに法壇に並ぶ姿が日常の光景になる。裁判員法廷で裁く殺人などの重大事件は1年に2千数百件が見込まれるのだ。

 

 従来の刑事裁判をすっかり変える新しい制度を導入した理由は、法律上は「司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資する」(裁判員法1条)だが、無論それだけではない。

 

 刑事裁判では有罪か無罪かと刑罰の重さを判断する。被告人が罪を犯したとする検察官の立証に、普通の人が疑問をさしはさむ余地があるか否かが、有罪か無罪かの分かれ道なのだから、法律専門家でない一般の国民こそがその判断をするのに適任といえる。刑罰も、長年の裁判例で形成された“量刑相場”が一般国民の感覚に合うのか、裁判員裁判の積み重ねで確かめられるだろう。

 

 こうした効果が期待通りに発揮されているかを検証するのにも、評議の実態は明かされる必要がある。

 

 裁判員裁判には懸念される点も多い。(1)日程を縮めるために審理が粗雑にならないか(2)争点が多い複雑な事件の審理をどう進めるか(3)控訴審はどんな場合に裁判員裁判の一審判決を破棄すべきなのか合意ができていない――などだ。新制度の導入で刑事司法が良くなったと評価できるようになるには、こうした懸念を解消していかなければならない。

 

(C)日本経済新聞 200987

 

 

87日付 読売新聞 社説

 

裁判員判決 検証の積み重ねが欠かせない

 

 

 裁判員が関与した初の裁判が終了した。今後も全国で裁判が相次ぐ。法曹関係者は今回も含め、問題点を洗い出して検証し、裁判員制度を改善していくことが肝要である。

 

 審理されたのは、東京で5月に起きた路上殺人事件だった。66歳の女性をサバイバルナイフで刺殺したとして、近所の72歳の男が殺人罪に問われた。

 

 東京地裁の法廷は様変わりした。法服姿の3人の裁判官の両脇に私服の裁判員6人が並んだ。

 

 検察官と弁護人はモニターに画像を映し、難解な専門用語を平易な言葉に言い換えた。

 

 検察官が被害者の「防御創」について、「刃物で刺されそうになった時、とっさに手で受け止めようとしてできる傷のこと」と説明したのは、その典型だ。裁判の内容が一般にも分かりやすくなったのは、歓迎すべきことである。

 

 被告は犯行を認めていたため、裁判の争点は量刑に絞られていた。どれだけ強い殺意を持って被害者を刺したかが、量刑を決めるポイントだった。

 

 裁判員は、「言い争いになった時、なぜナイフを持っていこうと思ったのか」などと被告に問いかけた。殺意の度合いを見極めようという姿勢がうかがえた。

 

 懲役16年の求刑に対し、判決は懲役15年だった。「死亡させると分かりながら、強い攻撃意思を持って刺した」と認定した。検察側の主張に沿った判断である。

 

 4日間の公判では、遺体の写真をモニターで見た女性裁判員が、目をそらす場面があった。別の女性裁判員は風邪で体調を崩し、男性の補充裁判員に交代した。

 

 連日の公判が、裁判員にとって大きな負担であったことは間違いあるまい。死刑か無期懲役かの判断などを迫られる裁判では、負担は、さらに増すだろう。

 

 最高裁は、既に設置した電話相談窓口を円滑に機能させるなど、裁判員の心のケア対策に万全を期していく必要がある。

 

 裁判員の選考方法も検討課題といえよう。今回、地裁が無作為で選んだ裁判員は、女性5人、男性1人だったが、性犯罪などの裁判で、男女の比率や年齢構成が偏ると、判決内容に微妙な影響が及ぶことはないだろうか。

 

 判決後、裁判員全員が会見に応じ、「人を裁くという重大なことを担わされている思いをひしひしと感じた」などと語った。いつ自分が選ばれるか分からないだけに、裁判員の生の声は、大いに参考になるはずだ。

 

(C)読売新聞 200987

 

 

87日付 産経新聞 主張

 

裁判員初判決 国民の義務見事果たした

 

 

 全国初の裁判員裁判となった東京都足立区の隣人女性殺害事件で、殺人罪に問われた被告に懲役15年(求刑同16年)の判決が言い渡された。

 

 ほぼ検察側の主張に沿ったもので、「厳罰に処してほしい」とする被害者遺族の処罰感情を考慮しており、裁判員の意見がきちんと反映されたようだ。

 

 第1号裁判としては意義深く、成果があったと評価できる。重責を担った6人の裁判員の苦労を心からねぎらいたい。

 

 注目の裁判だっただけに、マスコミが詳しく報道する中で3日間にわたって集中審理し、4日目の判決にいたった。

 

 6人の裁判員のうち途中、女性裁判員1人が風邪で出廷できず、男性の補充裁判員が急遽(きゅうきょ)、加わるハプニングがあったが、全体的に大きな混乱はなかった。

 

 6人の裁判員は、緊張と精神的な重圧を受けながら、検察、弁護側の意見に耳を傾け、被告人に活発に質問した。「市民参加の裁判員裁判」という目的は、立派に達成できたといえる。

 

 検察、弁護側とも図解や写真を多用して、裁判員の視覚に訴え、平易な言葉で分かりやすく主張するなど、これまでの裁判とは劇的に変わった法廷になった。「見て聞いて理解しやすい」という裁判になった意味は大きい。今後の裁判員裁判でも、分かりやすさを基本にしてほしい。

 

 裁判終了後、6人の裁判員と1人の補充裁判員の7人全員が東京地裁で記者会見に応じ、それぞれの感想などを語った。

 

 裁判員は口々に、「大役を終え、ホッとした。貴重な経験だった」と述べ、「検察官も弁護人もイラストを用い、主張は分かりやすかった」などと語った。この制度を推進してきた法曹関係者にも、心強かったはずだ。

 

 裁判員の意見や感想を、今後の裁判員裁判に生かさなければならないことはいうまでもない。たゆまぬ検証作業が、制度を定着させる上で欠かせない。

 

 ただ問題は、被告が起訴事実を否認している事案の審理や、死刑か無期懲役かの選択を迫られる場合などの審理である。

 

 裁判員の精神的負担が格段に大きくなるだけに、問題点や課題を克服していくのは容易ではないだろう。しかし一つ一つ改善策を見いだし、努力を重ねていくしかあるまい。

 

(C)産経新聞 200987

 

 

88日付 中日新聞 社説

 

裁判員初判決 定着へ試行錯誤重ねて

 

 

 見たり聞いたりする裁判から参加する裁判へ、日本の刑事司法は様変わりのスタートを切った。市民が犯罪や刑罰を主体的に考える社会にするためにも、検証と試行錯誤を重ねて定着させたい。

 

 東京地裁の裁判員裁判第一号は順調に終わった。周到な準備と配慮が実り、「お上頼りの国民性」「裁判官主導になる」などの懸念はとりあえず杞憂(きゆう)に終わった。

 

 法廷で裁判員は活発に質問、捜査段階の供述調書と法廷供述の矛盾を突く鋭い質問もあった。記者会見では「以前から知り合いのような感覚で意見交換できた」「難しかったが皆と成し遂げた」など、殺人という重大犯罪を裁いて責任を果たした充実感が語られた。

 

 人生や犯罪、刑罰などについて深く考えた裁判員もいた。

 

 懲役十五年の判決を「裁判官裁判より重い」と見る人が多い。しかし、隣人に突然ナイフを振るったことに対する市民の反応として重く受け止めるべきだろう。

 

 課題も浮かんだ。第一に弁護人の負担である。視覚に訴える分かりやすい立証のためには、準備に労力と資力が必要だが、弁護人は組織に支えられた検察官に比べ圧倒的に不利である。

 

 さらに今回のように被害者が参加すれば、弁護人は検察と被害者の双方を相手にしなければならない。弁護人をバックアップする仕組みをつくることが急務だ。

 

 判決文では被告の情状面の主張を認めなかった事情がよく分からない。評議の秘密に属するのかもしれないが、重要な部分の事実認定だけに将来裁判員になる人にとっても参考になろう。

 

 広く経験を共有し制度を定着させるためにも、守秘義務の内容を洗い直すことが必要だ。

 

 当初、選ばれた裁判員は六人のうち五人までが女性だった。たまたま抽選でそうなっただけだが、裁判員は多様な人生、社会経験を有する人たちで構成されることが望ましい。そうなるために子育て世代の女性も参加できるよう、保育施設の準備も検討したい。

 

 途中で一人が体調不良で交代した。裁判員の体調についての配慮、精神的ストレス、心理的負担感などに対する対応も万全を期さなければならない。

 

 関係者が対等、公平に立証、主張し、多様な背景を持つ人々がそれについて真摯(しんし)な議論を尽くすことで、裁判は公正と評価される。その条件や基盤の整備にたゆまぬ検証と試行錯誤を重ねたい。

 

(C)中日新聞 200988