ハバロフスク日本人会会報        りっか 六花 рикка           2008夏・Vol.27

 

☆楽しかった夏のバーベキュー大会☆

 621日、当会主催のバーベキュー大会が、ウスーリ河とアムール分水流の合流地点にほど近いボリショーイ・ヘフツィール自然保護区域内のキャンプ場で催されました。イントゥリスト・ホテルのまえから2台のバスに乗って1時間ほどで会場に到着すると、すでに先発のロシヤ人のみなさまが肉を焼いていてくださり、香ばしい匂いが漂っています。乾杯のあと、同自然保護区の職員の方々が周囲の地形や動植物についての説明を交えながらエコロードを案内してくださり、チョウセンゴヨウ、イチイ、アムールブドウ、蜂が蜜を採るというシナノキ、もとのイノシシのねぐらなどを目にし、キハダのコルクのように柔らかい樹皮に触れることができました。丘のうえからは河越しにボリショーイ・ウスーリ島の露中国境のすぐそばに立っているという聖致命者戦士ヴィークトル・ダマーススキイ小礼拝聖堂の金色の丸屋根を望むことができました。岸辺におりると、大河に流れ込むソスニーンスキイ川のせせらぎがあまりにも美しく、しばしほとりに佇んでおりました。

暑さもほどほどで、心配された虫も少なく、バーベキューも空気そのものもたいへん美味しく、街の喧騒をしばし忘れてとても心和むひとときを過ごさせていただくことができました。周到な準備にご尽力くださいましたみなさま、真にありがとうございました。ご参加できませんでしたみなさま、来年はぜひご一緒いたしましょう。2008711日・編集子記)

 

 

6回ハバロフスク市日本語学習者カラオケ大会

516日、ハバーロフスク経済法律アカデミーにて、3年ぶりとなる第6回日本語学習者カラオケ大会が催されました。出場者は、ソロの部が7人、団体の部が3組でした。歌われた曲は、浜崎あゆみ『SEASONS』、MISIAEVERYTHING』、石川さゆり『天城越え』、浜崎あゆみ『ENDLESS SORROW』、加藤登紀子『百万本のバラ』、安室奈美恵『THINK OF ME』、GacktSTORY』、タイナカ サチ『忘れかけていたのかな』、コブクロ『桜』、GachtMETAMORPHOSE』でした。ちょうど来月初めに養護施設を退院されるという青森県弘前市の聴取者のかたより『百万本のバラ』のご要望をいただいておりましたので、既存のものではなくその会場で録らせていただいた世界にひとつだけの歌声をロシヤから日本に向けて放送させていただくことにいたしました。このところ、ただの偶然とは思えない奇跡のような出来事に相次いで遭遇しております。目には見えないけれどもいつも心に温めている想いのようなものが人と人を結びつけて妙なる一期一会の花をあちらこちらでそっと咲かせてくれているのかもしれない、そんな想いにひたっている今日この頃です。(2008519日・編集子記)

☆チュコト探訪記 其の弐/田中隆☆

 


小さいながらも近代的な空港ターミナルを出て、待ち受けていた車に乗り込んだ。

曇天。青黒い雲が、低い空を流れていく。風はびょうびょうと吹いている。と書くと、さも強い風が吹いていたように思われるでしょうが、あまり、強くはありませんでした。それならなんでびょうびょうなんだ?と問われれば、お答えしましょう。寂寞とした感じを表して見たかったんですね。

空港を出たとたんに道路は砂利道になり、見た所低い丘と、低湿地、廃墟と化してもう随分経ったであろう建物が点在し、そこここに一叢の低潅木が生えている。途中から、道路と平行して、石炭のコンベアーが海岸まで伸びている。それ以外には何もない。鼠色の空がぼくらの頭上に垂れ込めている。急激に地の果て感が募って来る。

「この道の下は、炭鉱の坑道になっているんだ。時々落盤して、道に穴が開くんだ」

と言われ、『地表の薄い所を通ったら、車ごと落っこちてしまうんじゃないか。乗り物から落ちる事を落車と言うが、車ごと落ちても落車だろうか。』などと考えているうちに岸辺に着いた。何の変哲もない、砂と砂利の混じった海岸だ。

何でも、アナーディル市街は対岸にあり、対岸へは、連絡船で行くらしい。

 ぼくと、みやさんは、周囲を数枚ずつ撮影した。

連絡船がやって来た。

連絡船とは言うものの、ほとんど軍用上陸舟艇だ。舳先をそのまま海岸の砂利にじゃりじゃり突っ込み、船体の前部を開いて、そこから車が直接上陸してくる。乗船するのはその逆だ。

我々の前に順番待ちをしていたウラルのトラックと乗用車が乗り込んだ。次の船になるらしい。

ぼくと、みやさんは、何もない殺風景な、湊ともいえないようなその景色を数枚ずつ撮影した。

遠くに船が見えた。ジルの大型ダンプカーを載せている。その方角の空は、雲が薄くなり、陽の光が差している。

船がやって来た。やはり、じゃりじゃり、ごりごりと、強引に鼻先を岸に突っ込む。

ジルもごろごろいいながら上陸し、ぶう、と青白い煙を吐いて走り去つた。野蛮な所だ。尤もこんな所に岸壁をこしらえるのも無用の事だ。冬になれば、凍ほりついてしまふのだ。曇り空に、海は冬のような鉛色をして、波も殆んど立つてゐない。対岸を見ると、霧にけぶつて見えやしない。人を馬鹿にしてゐらあ。こんな所に我慢出来るものかと思ったが仕方がない。威勢よく一番に飛び込んでやらう、と思ったら、車に乗れと云はれてしまつた。

我々は、車に乗り込み そのまま乗船した。

 

連絡船は、アナーディル港に到着した。

途中、愉快で楽しい土左ェ門のように波間にぷかぷか浮かんでは消えるアザラシを発見したりしているうちにもう、アナーディルの海岸なのだが、殺風景な事この上ない。我々がたどり着いた海岸付近に、帝政ロシア時代、砦が築かれ、初めての入植者が住んでいたそうだが、その(よすが)は見受けられない。と言うより、何もない。数艘の船と、小さな倉庫のような建物がぽつぽつと在るだけだ。粗末な教会がある。

海岸の正面は切り立った崖になっていて、その崖の上から向こうがアナーデイルの市街だ。崖の上には、真新しい、木造の教会と、その脇で両手を高く広げたでかいおっさんの銅像がある。

見上げると、雲は切れて、太陽が顔を覗かせていた。

またもや我々は車に乗り込み、一路、ホテルチュコトカ、に向かった、のだが、坂を上って市街に入って行ったとたんに、空港で感じたような違和感を感じてしまった。

ハバロフスクで言えば、フルシショウフカ、のような、コンクリートパネル五階建ての住宅群なのだが、赤、青、黄色、といった原色に彩られ、方々にチュコトらしい、鯨やトナカイ、アザラシ、シャーマン、の写真、巨大なポスターと言って良いのだろうか、そんなような物が住宅の壁面に設置されている。しかも、市内は大変清潔で、整然としていたのだ!ハバロフスクのように、そこいら辺にぽいぽいごみを棄てる事が憚られる様な雰囲気が醸されているのだ!

あまつさえ、到着したホテルチュコトカは、なりこそ小さい物の、部屋に入ってみれば、ちょっと小じゃれた日本のホテルな並、か、それ以上。バスルームも、非常に、生理整頓且清潔的衛生的極近代的内装の、極めて優秀なホテルだったのである。めちゃくちゃ快適!

しかし、後になって判明するのだが、このホテル、宿泊料が9000ルーブル、出っ張って引っ込んで、だったのだ!確かに、チュコト自治管区の生活物資、建築資材などは、殆んどが他所からの調達なので、高いのは止む終えないだろうが、この値段で、一般のロシアのホテル並みの調度、状態であれば、いかに自費ではないとはいえ憤懣やる方なかっただろう。

とりあえず、冷蔵庫のビールを開け、壜から飲む。ハバロフスクアナーディルの飛行機でアルコールは出なかった。

 

みやこうせいさんと、通訳のオルロフさんと市内を散策する。でかいカモメがみゃあみゃあと住宅の建物に群がっているのが何だか可笑しく、写真を取ったりしているうちに時は過ぎ、夕食タイム。

ここで、我々、チュコト探検隊のパーマネントメンバー勢ぞろいとなった。

ハバロフスク組、ビタリー、オルロフ、みや、田中。モスクワ組、チモフェーイ、旅行代理店社長、イーラ、同社社員、と、ヴィクトル、モスクワの児童書出版社社長、娘、ユーリャ、だ。これに、チュコト自治管区の、文化青少年スポーツ観光情報云々、局のセルゲイ。

以上が、これからの探検を一週間共にするメンバーだ。

チモフェーイはムルマンスク出身で、大柄で、色は白いが赤ら顔、天然パーマの天然金髪、眼は真っ青。見るからにスカンジナビアな、30代。イーラはブラーツク出身の、中背の黒髪、茶色い眼の20代。出身地と容貌があまりにも一致していて、また少し可笑しくなった。

この席上、発表があり、当日、夜10時半にホテルを出発し、次の目的地、エグベキノートへ船での航海と決まった、由。

天候により、当日、船、と、翌日ヘリコプター、の二つの案が検討されていたのだが、天候不順そうなので船に決まったわけだ、

トナカイのステーキを食い、やれ、何々のために乾杯だ、などと言いつつウオトカをかぱかぱ飲み、宴が終わったのは9時を回った頃だろうか。

しかし、トナカイの肉は旨かった。この後も、腹散々食べることになるのだが、ちょっと海獣にも似た匂いがあるものの、脂は全く無くて、滋味深い。ダイエット食にはもってこいじゃあないだろうか。

日本で売れないですかね?お問い合わせは田中まで。

などと云っているうちに、早出発時間。

ホテルの前で待っていたワゴン車に乗り込み、港へ。とは言っても空港から来た湊ではなく、(湊といえる代物ではなく、ただの海岸だったが)石炭、コンテナなどの積み下ろしも出来る、小さいながら立派な港。

停泊している船はと見ると、石炭バラ詰み&コンテナ船。トン数なんて解からないが、富山ウラジオストクを結ぶ航路のルーシ号の半分程度だろうか。『ははは、貨物船。いいじゃないの。最果てらしくて。こうじゃなくちゃいけませんよ。大体ね。今日びの旅行なんぞと来たら、もう、堕落したって言うかね。何でもそろって、便利で快適でなくちゃいけないなんて、そりゃア成金のかかあの言いそうなこってすぜ。我々みたいな探検家はね、こういった乗り物で行くもんですよ』などと、かつて、一度も探検などしたことも無く、今回も、総てお膳立ての出来ているのにもかかわらずこんな事を考える私はお調子者でしょうか?でも、気分だけでも盛り上げたいでしょう?

で、乗り込んだ船室は、ロシアの長距離列車のクペーを少し広くしたような、シャワー、トイレ付きの、ルーシ号の3,4等船室となんら変らない造作だった。

どうも、チュコトに着てから、悪い、と言うか、やや負のイメージを持っていた所を、総て覆されているようで、それを楽しみにしていたぼくとしては若干不満。でも、楽な方がいいことには違いないけれど。

明けて翌日。

空はどんよりと曇り、周囲もうすく靄のかかったような極北の航海。

薄ら寒い。

食事だと言うので食堂に行って見ると、テーブルの上に乗っている皿にはゆで卵。半分に切ったのが6個。都合3卵。以上。あとはかごに入ったパンと紅茶。

『ほーら、言わんこっちゃない。大体ね、こんなもんですよ。刑務所だってもちっとましなものを出すでしょうに。所詮こんな極北の貨物船なんぞはね』

などと腹で考えながらも、昨日のウオトカの二日酔いで重くなっている胃に、塩を振ったり、マヨネーズを付けたりして、パンと一緒に無理やり紅茶で流し込んだ後、デッキに出てみるが、相変わらず鉛色の空に低く低く垂れ込めた青黒い雲と、暗い暗い海の色。周囲は薄靄。

――白鳥は、悲しからずや。海の青にも、空の青にも染まず漂う。

なんて歌を思い出し、『白鳥さんは結構ですよ。私達なんぞはどんよりどよどよに囲まれて、きっと誰からもね、見えやしないんですよ。ぼやぼやにぼやけてね。あーあ。こんな所で、こんな天気で、鯨とぶつかって沈没したって、だーれも気が付く人もなく、ぶくぶくと、冷たい海に沈んで一巻の終わり。大体、青い空に青い海。そこに浮かんでる白いかもめ。はつらつとしていいじゃありませんか。日差しが強そうで、強コントラストで。こちとら殆んどモノクロですよ。しかもぼけぼけのローコントラスト』と、なんともやるせない景色にすっかりやるせなくなり、あくびをこいて部屋に戻ってごろごろしていたわけだ。デジカメの充電をしたりしながら。

そうこうしている内に昼食時間。朝食でもう様子は解かっていたのでだらだら食堂へ。

テーブルの上にでかいボウルが三つほど置いてあり、ボルシチ。

あまり食欲がなく、もたもたと、やや深い鉢によそっていると、先によそってすでに食べ始めていたみやさんが、 「いやあ、このボルシチは美味しいですよ!」と言うが、内心『またまた、みやさん。ホントですかね。どうせたいしたことないんでしょ』なんぞとたかを括って一口食べたら。旨かった。ほんとに。すごく。ちょっとしたレストランよりも、全然。

あまり食欲はなかったのだが、ついつい御代わりをして、朝と同じくかごに入ったパンをつまんで、すっかり満足。と思いきや、やはり昼飯。フタローイ、が有ったんですね。市販の冷凍カトレートの3倍はあろうかと言うでかカトレートと、グレーチカ。うわ、こりゃ参った。と思いつつ、箸を、と言うかフォークを付ける。うま!(馬肉ではありません。うまい。の《い》を省略しただけです)

結局食べ切り、お腹ぱんぱん。

などとだらけている内に、船は、目的地、エグベキノートがあるクレスタ湾の入り口に近付いていた。

相変わらずの曇天の中、湾の入り口の両端はあまり高くはないが山。後で近付いてから解かったのだが、まるで九州の炭鉱跡のボタ山のでかいやつ。今現在の九州のボタ山は、既に殆んどが緑に覆われているのだろうが、ここは既にツンドラ地帯、ほぼ北極圏。黒い砂利を積み上げただけ、のような荒涼とした山々には未だ雪が残り、その残雪が急峻な山肌に刻まれた傷跡のようなくぼみに溜まり、溶け出した水は傷跡に副って、滝のように山裾に流れ落ちていく。黒い山の低い山頂には、低く垂れ込めた灰色の雲がかかっている。

憂鬱。と漢字で書くと、やっぱりゆううつ感が増して良いのだが、頭を低い雲で押さえつけられているようなこの景色の中にいると、まさに、この、漢字で書いた憂鬱。な気分になって来る。寒いし。

エグベキノートに近付くに従い、皆デッキに出てきて辺りを見回している。操舵室、とでも言うのだろうか。そこに入れてもらい、遠くに見える湊を眺めていると、そこにおいてあった年代物のベラルーシSSR製の双眼鏡で湊を見ていたみやさんが、ぼくにも貸してくれた。

湊から海岸線に沿って奥に入った所に正教の教会のようなねぎぼうず形の金色の尖塔が見えた。『ああ、こんな所でも、やっぱりロシア人の町なんだな』と感慨を新たにする。

湊に入ると、やはり国境警備隊の簡単な書類審査があり、上陸を許可された。

待ち受けていたカマスの六輪駆動トラックに乗る。荷台の部分に取り付けられた箱の中に、乗員が乗れるようになっている。兵員輸送車を少し良くした感じだ。この無骨なカマスがここ、エグベキノートでの我々の足となるのだが、今後その荒地走破能力を遺憾なく発揮してくれる事となる。


☆山下雅司さんの小説「時空の旅人」☆ 〜連載・第14回☆

 


 行く手に原生林の森が広がっている。昼なお暗い針葉樹林の森だ。

「この森に入るのは止めよう。方角を見失う恐れがある。多少、遠廻りになるが森を迂回して進むことにしょう」

 マリーンの提案で山には入らず、裾野の谷を渡り沢を越え、原生林の山を大きく廻り込んで進んだ。何年の歳月を要したらこの様な大木になるのだろう。

 ここには時が静かに静かに流れて、悠久の時を刻み続けている様だ。

 しかし、生ある物は何時か成長が止まる時が来る。それが自然の摂理だ。

 朽ち果てた老木がある。一面の緑の苔に覆われて、やがては土に還る運命にある。

 食用にならない大きな沢山の茸が、老木が自然に帰る手伝いをしている様に、朽ち果てた老木に取り付いていた。土に還ると言う事は自然に帰ると言う事なのだ。

 少しくだりに差しかかると針葉樹の森は姿を消し、広葉樹と雑木林の森に変わる。

 楢、櫟、撫等の高木が天を蓋い、栗の木や橡の木の若木が繁っていた。

 広葉樹林帯は上手く出来ていて、背の高い巨木にも拘らず密生はせず、太陽の明かりは足下にも及び、下生えの若葉を鹿の群れが食んでいるのが木立の間から見えた。

 三人は頷き合い、風下に廻りそれぞれの弓に矢を番えた。

 大きな鹿に狙いを付ける高木に、マリーンは首を横に振った。

 別に母親でもないのに理由が判らない。杉浦も納得できない様だった。

 しかし、マリーンの指示には絶対服従であった。

 それは別に言われた事で無く、マリーンはこの世界の先達で、彼の言う通りに行動しなければこの世界で生きては行けない事を、高木と杉浦は十分承知していたからであった。 マリーンが狙いを付けたのは、バンビとも思える小さな小鹿だった。

 狙いを付けた同じ小鹿に同時に矢を放った。

 当然とも言える結果だが、高木の矢は短過ぎて手前の足下にも及ばず、杉浦の矢は鹿の頭を越して木立に消えた。マリーンの矢だけが小鹿の急所を射貫いていた。

 鹿の群れは矢音を聞いた様に、一斉に飛び散り木立をぬって走り去り姿を消した。

 矢を受けた小鹿も二三歩飛びはね仲間を追った。しかし、力尽きた様に肩から崩れ落ちて、そのまま動かなくなった。逃げた鹿の群れが起こした風が下枝の若葉を揺らした。

 

 二日目の夕闇が迫っている。夕日は既にない。

 焚火の炎が怪しく揺らめきマリーンの横顔を写し出していた。

 傍らに置かれた小振りの林檎には手も付けず、小鹿の皮を鞣している。

「これが本当の青林檎の味ですね、思ったより小振りの割にはいい味ですよ」

 と、杉浦は旨そうに、食後の林檎をかじりながら言った。

「小鹿の狩についてですが・・・如何して大きな鹿を狙わなかったのですか?」

 杉浦も疑問を抱いていたらしく、そうだと言うように頷いた。

「小鹿は可哀想ですよ」                                                         今度は高木が頷く番だった。

「可哀想?その考えの元は何なの?小鹿にはこれから大きくなり、未来があると言う考えがあるの?」

「そうです」

 二人は同時に頷いた。

「私達は旅の途中だ。大鹿を狩っても三人にゃ多すぎる食料だ。余った肉はどうするの?この辺りは鹿や野兎を良く見かける、食料に困る事は無い。集落から出た狩なら大きい方が良いだろう。村に持ち帰り干し肉として保存も可能なのだから・・・・動物を殺すと言うのは『自然の中で生きている仲間を殺生する』と言う事だ。それは生きていく為に必要なことであり、弱肉強食の世界では致し方の無い事でもあるが、必要最小限の殺生に止める心を私達の集落の者は皆持っている」

「・・・・・・・」

「大鹿であれ小鹿であれ命の尊厳に変わりが無い。自然が与えてくれる恵みに感謝して、必要最小限で無駄無く私達の生活に役立てる事で動物達の霊も救われる」

「命の尊厳に大小が無いと言う事ですね」

 杉浦の言葉に高木も頷いた。

「生きる為の最小限の殺生で生きる。それは自然界の掟だ」

 マリーンは教え諭すように話し、鹿皮の鞣し作業に戻った。

 そう言えばマリーンの狙った小鹿は、沢山いた小鹿の中で牡鹿を射止めていた。

 これも偶然の一致とは思えなかった。移動の途中で見つけた青林檎を噛んだ。

 軽やかな甘酸っぱい味が口の中一杯に広がった。何となく幸せな気分だった。

 自然の中の生き物の一部として生きている充実感が、高木の心の中に広がって行った。

 昨日の山裾を迂回した事で、距離的には余り進んではいなかった。

 その遅れを取り戻すと言う気は更々無いが、夜明けと共に歩き始めた。

 沢に降り、谷を登る山越えの計画は、昨夜寝る前に決めていた事であった。

 この地方の山は森と言える様な木々は生えてい無い。山は禿山の様な岩山で、所々緑の芝生が見える。遠く緑に見えるのは、エニシダの群生かも知れなかった。

 途中でマリーンが足を止め、足下の紫色の小さな実を拾い挙げて口に含んだ。

 それを後から歩いていた杉浦が気付き、小さな歓声を上げた。

「高木さん、ブルーベリーですよ!一杯ある」

 足元を見ると、地を這う小枝の陰に、沢山のパチンコ玉ぐらいの大きさの、紫色の実がなっていた。三人でまるで子供達が競う様に、夢中になって実を摘んだ。

 たちまち昨日捕った小鹿の、小袋に姿を変えた胃袋が紫の実で一杯になった。

 完熟していた実だけを摘んだので三人の両手は紫の手袋を着けたように見えた。

 小休止する事になった。心地よい風が吹抜けて行く。

 眼下を見下ろすと歩いて来た岩山と、うっすらと遠くに、昨日通った広葉樹林の森が見える。頂上には程遠く差程見晴らしは良くない。

「お昼迄は頂上に到達したいね。気の毒だが当分登りが続く、下りになったら変わるからこの袋を頼むよ・・・大事な貢ぎ物となる可能性があるからね」

 と、言うとマリーンはブルーベリーの入った袋を杉浦に手渡した。

「貢ぎ物って・・・?」

「知らない集落に手ぶらと言う訳に行かないでしょう」

「おみあげと言う訳ですか」

「そうゆう事なので大事にお願いします。出来るだけ地肌近くに担いで、体温で温めると言う感じが良いですね」

 そう言うと杉浦に担ぎ方を教えた。

 頂上付近についたのは、昼を少し過ぎていたかも知れない。

 登って来た丘の反対側に広がる景色を眺めた時、遙か遠方ではあるが人工の丘陵と思える山を確認する事が出来た。

「あったねぇー。あれが多分、シルブリー・ヒルと言われる円錐形の人工の丘だ」

「あれぇー、案外喜ばないんですね」

 杉浦は期待外れの様な声を出した。

「かなりの確立で確信していたからね。やっぱりあった!と言う感じだね」

「ここから見ても人工の丘と言える形をしていますね。あんな山を作るのにどれだけの時間と労力を注ぎ込んだのでしょうね」

 古代人のエネルギーに驚いたように杉浦は感心していた。

「あれだけの人工物を作るには、多くの人々と優れたリーダーがいる。我らの村領、ハグマーのような優れた統率者だ」

 マリーンの言葉に二人は頷いた。

「あの丘の廻りに集落が広がっているのでしょうか?この山の麓は彼らの縄張りと言う可能性は充分に考えられますね」

 高木は多少不安げにマリーンを見た。

「今日は山の麓まで降りて、そこで一夜を過ごそう。相談はその時にしょう」 と、マリーンは言った。


 

 



日本語クラブのイベント

 517日、極東国立人文大学6号館3324教室にて催された日本語クラブのイベントに参加させていただきました。あいさつ、あだ名ゲーム、歌、発表、占いスピーチ、ラブテスト、記憶ゲーム、劇『金色夜叉』、ルチェヨーク(参加者がつないだ腕のトンネルを小川が流れるようにくぐっていくゲームです)、プーシキンの詩の朗読、感謝の言葉、そして、お茶の時間、とたいへん盛りだくさんの内容で、和やかなふれあいのひとときを楽しませていただきました。ありがとうございました。ご本人のお許しがいただけましたので、金色夜叉を脚色され熱演された当会会員の丸島暁さんが翻訳されイベントで朗読されたプーシキンの1829年作の愛の詩を下に掲載させていただきます。なお、次回の開催は12月とのことです。(2008519日・編集子記)

 

私はあなたが好きでした

 

私はあなたが好きでした:恋はまだ、もしかすると

心の中で全て消えてしまってはいないのかも知れません。

しかし、恋がこれ以上あなたに辛い思いをさせてはならない。

私はあなたを悲しませたいとは思っていません。

私はあなたを何も望まず何も語らず愛していました。

それは、臆病なことですし、苦しい嫉妬でもあります。

私はあなたを、とても誠実に、とてもやさしく愛していました。

神よ願わくば、愛しい人の前に、他の誰かが現れんことを。

(丸島暁・訳)

 

Я Вас любил...

Я Вас любил, любовь ещё быть может,
В душе моей угасла не совсем,
Но пусть она Вас больше не тревожит,
Я не хочу печалить Вас ничем.
Я Вас любил безмолвно, безнадежно,
То робостью, то ревностью томим,
Я Вас любил так искренно, так нежно,
Как дай Вам Бог любимой быть другим.

       А.С.Пушкин



☆地元の学生さんたちのスピーチ☆ 〜連載・第12回〜

(前々号より2006年の第7回ハバロフスク日本語弁論大会で入賞された方の弁論を掲載させていただいております。今回は、スピーチの部(特別枠)で1になられた方のお話です。なお、所属は、20064月当時のものです。)

 

ぼくの宝物

第4番ギムナジア5年 

グレボフ・グレープ


 


日本へ行く前にぼくはロシアにすんでいました。

 毎日ぼくはなんにも考えないで学校にかよったり、スポーツをやったりしていました。よその国に行くことをいちども考えたことがありませんでした。

 

 だけど2003年にぼくとおかあさんは日本へ行きました。行く前にぼくはいっぱい

いろいろなことを考えました。

 いちばん気になったことが「日本に行ったらことばがわからないのにどうやって学校に行くか」、そして「子どもたちと話をすることができるか」でした。

 

 でも、「行かなければいけない」と自分で決めました。そして心ぱいだったけど行きました。

 

 ぼくはひこうきからおりたとき、目のなかがぜんぶかわりました。日本人 みんな、

なにを言っているのかぜんぜんわかりませんでした。ほんとうにすごくこわかったです。

 

 よるの12じ半にやっと家につきました。

 すんでいたところはおきなわけんでした。

 

 日本人はロシア人とぜんぜんちがいました。そとはすごくきれいで、ごみがぜんぜん

ありません。ロシアとちがいます。

 

 でもいちばんたいへんだったことは、ぼくが学校に行ったことでした。

 

 「なにもわからない。みんななにを言っているのかぜんぜんわからない。」

 

でもぼくはラッキーでした。

 あとなん日かで夏休みでした。ぼくはこの35日で日本語をおぼえました。

 学校に行ったら、みんなと話せるようになりました。先生と話せるようになりました。

友だちもいっぱいできました。みんなもぼくをちゃんとわかるようになりました。日本にすむのはかんたんになりました。

 

「ぼくはすごくうれしい、いまもうれしい、ずっとうれしい。」

 「みんなと話せるようになった。」

 「みんなにぼくのきもちを言うことができる。」

 

自分の生まれた国だと思いました。

 

ぼくはおもしろいことをやっていました。

おかあさんはぼくにロシア語で聞いて、ぼくは日本語でこたえていました。

 

ぼくはロシア語をわすれはじめました。だからロシアにかえりました。

日本からかえったときに思いました。

 

「だれでもちがう国の人をぜったいわかる。だれでもできる。」

「みんな人間だから、だからできる。」

「わたしたちが住んでいるせかいでこっきょうをなくさないといけない。」

「みんなが仲良くなるようにがんばらないといけない。」

 

 みんぞくとみんぞくが話をするのはとても大事なことです。

「ロシアと日本も仲良くしてひとつの国になったほうがいい」と思っています。

おとなになったら、ぼくはそのためにはたらきたいです。


 

☆イヴェントのご案内☆

 

◎展覧会「北海道・四季の美〜栗谷川健一と袴田睦美の芸術〜」

会場:V.K.アルセーニエフ名称沿海地方国立総合博物館(200871日〜81日)

会場:極東国立博物館(旧称、ハバーロフスク地方郷土誌博物館)(2008810日〜910日)

会場:サハリーン州郷土誌博物館(2008920日〜1017日)

 

◎元当会会員で本会報『六花』にヤクーツクでの暮らしについてのお話をお寄せくださいました池田加奈子さんより写真展のご案内をいただきました。ご本人はギャラリーに8/13(水)、8/22(金)、8/23(土)に居られる予定だそうです。

<展覧会概要>『アナト・パルナス 池田カナ子 木内美羽 三人展』
会期:200888日(金)- 24日(日) 12001900(初日と日曜・祝日は18:00まで)会期中無休
会場:フォイル・ギャラリー FOIL GALLERY101-0031東京都千代田区東神田1-2-11アガタ竹澤ビル201
TEL 03-5835-2285
 FAX 03-5835-2286
http://www.foiltokyo.com
  gallery@foiltokyo.com 地図:http://www.foiltokyo.com/gallery/gallerymapjp.html
都営新宿線[馬喰横山]A1出口より徒歩2分/JR横須賀線・総武線快速[馬喰町]西口2番出口より徒歩2分
東京メトロ日比谷線[小伝馬町]2番・4番出口より徒歩6分/JR総武線各駅停車[浅草橋]西口より徒歩8分

「大学在学中から何度もロシアを訪れ、土地の人々と触れ合ってきた池田カナ子は、暗く寒いというかの国のイメージに捕われることなく、穏やかな人々の生活を優しい視点で見つめています。素直に綴られたロシアでの日々は、どこか懐かしい印象さえ受けます。」
池田カナ子(いけだ・かなこ)プロフィール
1980
年新潟生まれ。法政大学日本文学科卒業。大学在学中からロシアを旅行し写真を撮り続ける。2000年「僕らは生きる」でエプソンカラーイメージコンテスト大賞受賞。光文社スタジオ勤務後、2007年独立。

 

☆ラヂオの夏季周波数☆

NHKワールド・ラジオ日本」放送時間・新周波数表2008330日〜20081026


東南アジア向け

    日本時間   kHz

日本語 11.00-12.00 11780

       11.00-14.00 17810

       17.00-19.00 11740

       19.00-02.00 11815

       02.00-04.00  7225

       06.00-07.00 11665

       07.00-09.00 13680

< <アジア大陸向け>

          日本時間   kHz

日 日本語 11.00-14.00 15195

         16.00-17.00 15195

         極東ロシア   6145

         極東ロシア   6165

17.00-02.00  9750

         02.00-04.00  6035

         05.00-07.00  6085

        05.00-09.00 11910

      

 露語 12.30-13.00 15300

        14.30-15.00 11715

                 11760

        17.00-17.30  6145

                     6165

        22.30-23.00  6190

04.00-04.20 5955



◎ロシヤ国営ラヂオ「ロシヤの声」日本語放送・新周波数表(2008330日〜20081025

日本時間 21.00-22.00  中波 630 720  短波 7175 7265kHz

日本時間 22.00-23.00  中波 630 720  短波 7175 7265 9640kHz

(受信環境によってラヂオによる聴取が困難な場合がございます。)

*HPアドレス http://www.ruvr.ru (日本語直通 http://www.ruvr.ru/index.php?lng=jap

*リスナーズクラブ『日露友の会・ペーチカ』http://www.geocities.jp/pechika041029/


(上記のサイトでインターネット放送(リアルオーディオ&オンデマンド)をお聴きいただけます。)


*ハバーロフスク支局では番組『シベリヤ銀河ステーション』のコーナーに友情出演してくださる方を募集しております。スタヂオ見学もどうぞお気軽に。(21-41-0732-45-46 / 岡田)

 

☆おすすめサイト☆

ハバーロフスクとアムール河の流氷で結ばれる北海道紋別の北海道立オホーツク流氷科学センター所長流氷遊び人こと青田昌秋さんが綴るユーモアと詩情そしてロシヤへの愛情にあふれた心温まるページです。凍てついたアムール河口 などのすてきな写真も掲載されています。

Okhotsk流氷つれづれ草 』 http://giza-ryuhyo.com/directorsdiary/diary.html

『六花』のバックナムバーが読めます。 http://hisgan.fc2web.com

 

【編集後記】次号の原稿の締切りは、20089月末日です。趣味のお話し、イヴェント&暮らしの情報、離任着任メッセージ、詩歌やエッセイ、旅の思い出など、みなさま、お気軽に編集担当(岡田和也)までお寄せください職場32-45-46自宅пFax21-41-07/メールokada@mail.redcom.ru)。首を長くしてお待ちしております。